かばん2018年7月号の「かばんのある本屋さん」で紹介された「葉ね文庫」さん、店主の池上きくこさんに、かばんの会・会員のとみいえひろこがインタビューしました。
●“本をまもる”ってどういうことですか
葉ね文庫の店主、池上きくこさんが書いた
記事に、
「私は今、本屋をやっています。“本をまもるもの”となりました。」という一行がありました。
(
ウートピ「自殺した女性編集者が残した“劇薬”のような一冊 心に空いた穴に効く言葉たち」より)
そのことじしんが、思い出されようとする意志を持っているみたいに、何度も何度も思い出されてくることがらがある。
たとえば、私がまだなにも誘い水めいたものを示さないうちに、あなたが手紙に書いてきたこと。
「私は物語は書けないけれど、私はそれをまもる者でありたい」
それがたとえいかに大切なものであっても、まもろうとする意思を持つ者がいなければ、あまりにもたやすく潰えてしまうものがある。
書くことは凡庸である。そしてまもることははるかに貴重である。
この言明じたいが、いかにも凡庸にひびくかもしれないが、それはそれでせんかたないことである。 (
八本脚の蝶「2002年8月27日(火)その1」より)
「本をまもる」と池上店主が書いたのは、記事中の主役、二階堂奥歯さんが書き残した「私はそれをまもる者でありたい」という言葉に呼応しています。
わたしたちは本や言葉に出会い、読んだり書いたりすることでその本や言葉と付き合う時間を過ごしているのですが、「本をまもる」とはいったい池上さんにとってどういうことなんだろう、と思いました。
*
“まもる”という奥歯さんの言葉を読んだときにその意味をとるのは難しかったんですけど、「ああ、ええな」って思って。この記事を書いたとき、わたしもそっち側になれたんかなって思って書きました。
「この本が読んでほしがっている」かもしれない人、「この本を必要としている」かもしれない人がいる。それを渡す現場に自分がいて、それまでお預かりする感覚というか。わたしが「古本屋」になろうとしたのは、自分の根本にある憧れを辿っていった結果なんです。
葉ね文庫を始めたときから、新刊でも古本でも、仕入れてすぐに売れない本があっても返品は基本的にしないスタンスです。というのも、葉ね文庫ではちょっとずついい本を選んで仕入れています。そういう本を、いつかは絶対に欲しいと思ってくれる人がいるやろうと思うから。
その人にちゃんと届くまで、それまではここでまもっておく。そういう感覚です。
●ちゃんとこの本を、この世界を、いろんな人に見せたいな
ちゃんとこの本を、この世界を、いろんな人に見せたいな。
わたしの思う“まもる”って、けっして大きな意味ではなくて、たとえばこんな気持ちです。自分が好きな友達を、もうひとりの好きな友達に会わせたいなっていうのと同じ感覚。ほんとに個人的な感覚なんです。
長い長い時間のなかで、今この同じ時代に生きている人の作品がここにある。せっかく本がここにあるんだから、その人が死んでしまってからではなく、今その人が呼吸しているあいだに出会って読んでほしいな、わたしも読みたいな、という思いもあります。
●“まもる”の意味はあとふたつあります
数年前から、本の修理のスキルを身に付けたいという目標があるんです。まだ実際に習いに行ったりする時間はとれないんですが、古い本でも手にとってちゃんと読めるようにしたいなあって思っています。もうぼろぼろで読むのにも気を遣ってしまう本なんかでも、手を加えて読まれることで生き返りますよね。
それともうひとつ、“まもる”という言葉につながること。わたしは遺跡とかがすごい好きなんですよ。本が好きな傍ら、中学生の頃くらいから考古学者になるのが夢でした。
今でもいつも、今ここにあるこの本が100年後とか、もっとずっと後に読まれることを想定してしまうんです。この本を未来の人が見たらどう思うんやろうって。いつも未来の人を気にしていて、その未来の人にちゃんと残せるように、修理できるものは修理して手渡したいなっていう思いがありますね。
●常にこの本を掘り起こした100年後の人のことを思い浮かべています
小さい頃から図鑑の写真をずっと眺めていたりして、考古学に興味がありました。学校で専門的に勉強するような機会はなかったんですが、やっぱりわたしの中に流れる時間の感覚や価値観のもとはそういうところにあるんやと思います。
自分が何をするのも時間がかかってしまうんです。人より時間の使い方がゆったりなのに、やることはいっぱいある。だから人と同じことをやろうとしても、それに割く時間がない。
自分がIT業界に入ったことで(※池上店主は葉ね文庫のお仕事とは別に、会社勤務をされています)周りにいる人たちの影響を受けたこともあって、自分の表現の欲求が高まったんです。
でも自分が面倒くさがりやし、すぐ飽きるほうやし…っていう気持ちがある中で表現ツールを探していたときに、「短歌、最強やん!」って思って。今はわたしは短歌はつくらないけど、いろんな人や本や世界観を知ることができたのがよかったと思っています。
●“ほんとうに自分が幸せでいられる時間”
小さいときから考古学の世界が好きで、自分は大人になってもこういう世界にいられるんだと思っていた。だから学生のとき当然のように、考古学の勉強をしていこうと思っていたんです。
浪人していたときに阪神・淡路大震災がありました。ああ、もうちゃんと食べていくための仕事せなあかんわって。それで、「パソコンかな」って感じで、就職先を決めました。
それからずっとIT業界のなかで転職を繰り返してきました。WEB解析士のお仕事については、やっとたどり着けた「自分の仕事」だと思っていたんです。でも、やっぱりわたしには向いていないんだと立ち止まってしまう。
本来自分が好きな世界とはやっぱり違うほうに行ってしまったから、その無理が祟ったんでしょう。38歳のときに「いや、違う。」と急に立ち止まった。「今までめっちゃ自分に無理してた」って気付いたんです。
ずっと自分は飽き症なんだと思っていたけど、そのときに、根本的に自分がいちばん好きなものって何だっただろうかと考えました。もう何もかも嫌になって、立ち止まって、考えて。“ほんとうに自分が幸せでいられる時間”として思い出すのは、やっぱり本を読んでいるイメージでした。
小学生のときなんかも「本の虫」だったんです。ずっとわたしには本が友達だった。その頃の自分めっちゃよかったな、そこにリセットしたいなって思いました。
ああ、やっぱりそこなんだなと思って、すぐにでも本屋をやりたいと思い始めました。自分の気持ちや憧れを辿っていって、好きなもの、幸せな時間をあつめていくと、「古本屋さん」に行き着いたんですね。
*
葉ね文庫という「別世界」についてお聞きしました。
*
●「別世界に来た」っていうスイッチが入る
壁(牛隆佑さんプロデュースの「葉ねのかべ」ではなく、通常時のお店の「壁」)やブックカバーや絨毯、開店時に机に本を面陳させたこと。そういったビジュアル的な要素については、わたしがずっとファンだった金谷さんのアイデアです。
“葉ね文庫に入った瞬間に、別世界に来たっていうスイッチが入る“。このお店をそんなふうにしたかったんです。金谷さんと会って初めて話したときにその自分が抱えていたイメージが一気に見えたし、開店してその世界をつくることができたなと思っています。
●葉ね文庫に置きたいのは、「かっこいい本」
自分がときめく本はわりとなんでも置いていいかなと思っています。
「どうやって本を選んでいるんですか?」とときどき聞かれることもあるんですが、来てくれるお客さんを思い浮かべて置いているのが6割くらいです。あとの4割は、そんなには売れないかもしれないけど自分が刺激を受けたものをどんどん置く感じ。そのうちに誰か気付いたらいいなって思って置いている本もありますね。
●ふんわりした思いを抱えて
2月にリニューアル期間を設けて配置換えをしました。このスペースの中でお客さんがお互い気を遣わないように、というところについても少し解消できたと思っています。ちょっと喋りたいときも、本に没頭したいときも、それぞれの人が利用しやすくなったかな。
中崎町という土地柄や、このサクラビル自体がそうなんですが、わたしもここではできるだけいろんなルールをなくしたいなと思っています。
葉ね文庫に来てくれるお客さんって、みんな標準的な理性があるというか、すごい“ちゃんとしている”んですよね。入口で靴を脱いでもらうお店だし、初めての人はここに入るときに躊躇する感覚もあると思うんですけど、ふんわりした思いをなにか、本や言葉に対して抱えながら立ち寄ってくれる人たちがいます。
これからもそんな感じで、買わなくてもいいから暇つぶしにでも来てもらって、自由にしてもらったらいいな。そんなふうに思っています。
*
“まもる”という本との関わり方がわたしにとっては不思議で、未知の世界でした。もう少し聞いてみたいと池上店主に2回目のインタビューをお願いしたところ、いろんなことを思い出しながら話してくださいました。
話を聞いているわたしの気持ちが刺激を受けてむくむくふくらむその外側の世界では、常連さんが椅子に腰掛けて本を読んでいたり、池上店主が久しぶりのお客さんにリニューアル後の配置について説明されたり。いろんな世界が混ざり合って呼吸する、普段の葉ね文庫の雰囲気でした。
葉ね文庫 http://hanebunko.com (インタビュー・記/とみいえひろこ)